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戦後50年、人形劇の運動と共に歩み続けた、人形劇制作の第一人者、曽根喜一(人形劇団「プーク」)が、現代人形劇、波乱の戦後史を、内側から活写! |
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【目次】より |
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まえがき |
第1章 人形劇団プーク入団から劇団人形座創立まで |
・日本敗戦・帰国 |
・中央労働学園専門学校入学 |
・(財)中央労働学園就職 |
・中央労働学園時代 |
・人形劇団プーク入団 |
・経営部一年正・千葉県巡演 |
・北海道巡演について |
・50年問題の影響─その1 |
・共同炊事「共炊」について |
・50年問題の影響─その2 |
・オッペルの旅 |
・50年問題の影響─その3──高山貞章とのこと |
・50年問題の影響─その4──劇団人形クラブ設立 |
・劇団人形クラブ─再び高山貞章とのこと |
・劇団人形クラブ結末 |
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第2章 劇団人形座の12年 |
・『あのさま』 |
・メーデー事件 |
・人形座初期の活動 |
・瀬川の退団 |
・人形座、「労働者クラブ」へ移転 |
・劇団人形座第一回本公演 |
・思い出の金町へ |
・金町生活 |
・その後の金町 |
・深谷合宿 |
・第一回宮崎県巡回始まる |
・東京本公演について |
・巴との結婚 |
・「勤務評定反対」闘争 |
・人形座解散 |
・人形映画『こがね丸』について |
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第3章 人形劇団プーク再入団そして現在まで |
・東京人形シネマ解散 |
・プーク再入団 |
・自動車運行管理係設置について |
・大都市手打ち公演−−観客運動 |
・当面する「子ども劇場・おやこ劇場」の運動について |
・交通の蒸発 |
・人形劇芸術の専門化を目指して |
・人形劇人の職能化および運動組織の確立 |
・プーク人形劇場建設へ |
・プーク人形劇場完成余話 |
・プーク人形劇場・自主公演について─その1 |
・プーク人形劇場上演資料 |
・プーク人形劇場・自主公演について─その2 |
・劇団体制の整備─その1 |
・梅原の退団 |
・日本児童演劇劇団協議会(児演協)設立─その1 |
・児演協設立─その2 |
・プークの国際活動およびウニマ活動について─その1 |
・プークの国際活動およびウニマ活動について─その2 |
・アジア・太平洋国際人形劇祭典について |
・怪談噺『牡丹灯龍』について |
・国=文化庁や自治体=都の助成について |
・88年世界ウニマ大会およびフェスティバルについて |
・劇団体制の整備─その2──劇団のあり方について |
・劇団体制の整備─その3──NPO法に関連して |
・劇団体制の整備─その4──労働保健と厚生年金の加入 |
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あとがき |