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【プロローグ】より
カランコロン カランコロン キコペタトン、
瓜から生まれた 瓜子姫。
てーどうすべえかって きまってらあ、
子がにの兄弟 キビダンゴもって。
ぼくらの体は 鉄づくり、なにがきたって
へしょげるものか。
広い野原の小さいお城、かえると ねずみと はりねずみ
にわとりのアコーディオンで おどります。
おれとゆかねか あの山こえて、
咲いたさくらの 枝折りに。
花の天女の夕陽さま、あーれ びんぼな百姓の
花よめさん。
おなかすいた! とホップくん、
窓ガラスやぶって 飛びこんだ。
むかし 昔 そのむかし、日本中の子どもたちと
大の仲良しになった、人形劇のはじまりだ。 |
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【もくじ】より |
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プロローグ |
瓜子姫とあまのじゃく〈影絵〉 木村次郎 作 |
さるかに合戦〈三幕四場〉 木村次郎 作 |
機関車物語〈影絵〉 保坂純子 作 |
小さいお城 民話と民謡のモチーフによる作品 サムイル・マルシャーク 作/大井数雄 訳 |
あのさま〈四景〉 木村次郎 作 |
笛吹き瓢六〈プロローグと五景〉 徳永彌 作 |
ホップ・ステップ・ジャンプくん〈三幕〉(原題「ミーチェク・フリーチェク」)ヤン・マリーク 作/加藤暁子 訳 |
● 音楽 丸山亜季 |
あとがき |
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人形座はこの前の戦争が終ってまだ日の浅い1952年東京に生まれ、解散する1963年までの11年間、日本中の小学校、中学校を廻って情熱的に人形劇を上演した劇団だ。主に7名ほどの小さな上演班で、北は北海道から南は九州まで大きな街にも山深い山村にもでかけていった。子どもたちも人形座が大好きで、10円の銅貨を手に握りしめてやって来て、笑い、拍手し、また来てね!と声援を送ってくれた。その10円玉を持ってこれない子どもも少なくなかった頃だった。
人形座は劇団の代表で詩人・劇作家の木村次郎を除いて、ほとんど全員が20代の若者の集団で、その若者が育った子どもの頃は15年続いた戦争の真っ只中だった。「日本勝った、日本勝った」と街を歩いた堤灯行列の夜があり、やがてその街に焼夷弾の雨が降って家が焼け学校が焼けた。父が死に、母が泣いて戦争が終り、「正義の戦争」は次第に侵略戦争であったことが解ったから、若者たちは激しく戦争を憎んだ。地球の上から戦争を全部無くしたかった。
そして人形劇に出会った。ぶきっちょな人形の、精一杯の姿に胸打たれた。表現の奔放さに驚いた。色があり、光があり、音楽があった。新しい時代の新しい芸術はこれだと思った。人形劇を持って子どもたちと会おう。子どもたちに生きることのすばらしさを、愛しあうことの喜びを語ろう。戦争なんか大嫌いな子どもたちが育つように。 |
【あとがき】より
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