[特集]戦争と演劇 |
[座談会] |
戦争と表象の限界 |
佐伯隆幸+田之倉稔+西谷修+川村毅+村井志摩子+鴻英良(司会) |
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[評論] |
戦時下のシェイクスピア=大橋洋一 |
戦中と戦後をまたぐ─『女の一生』の場合=森秀男 |
ダンスにおける戦争の記憶─『エイド・メモア』とピナ・バウシュを中心に=立木あき子 |
80年代演劇とハルマゲドン幻想=内野儀 |
遍在を透視する眼差し─ハイナー・ミュラーにおける戦争/歴史/演劇=谷川道子 |
アウシュヴィッツは終わらない─若いフランス人演出家との対話──92年9月ベルリン=ハイナー・ミュラー 訳=谷川道子 |
現代劇・ファシズム・そしてホロコースト=ヴィヴィアン・M・パトラーカ 訳=野田学 |
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[エッセイ] |
加害者と被害者のはざまで=藤田傳 |
右手に「手塚治虫」 左手に「ザ・タイガース」=高取英 |
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[共同討議] |
阪神大震災と演劇 |
秋浜悟史+太田省吾+内藤裕敬+深津篤史+内田洋一(司会) |
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[連載] |
演劇季評 演劇はすでに壊れている=西堂行人 |
ダンス季評 新たなるダンス・ワールド=尼ヶ崎彬 |
現場からの声 4 真野純に聞く 技術監督─作品と劇場をつなぐ 聞き手=沢美也子 |
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[劇評] |
「GHETTO」の人形とジョーク─ひょうご舞台芸術『GHETTO』=岩波剛 |
「今ここ」のテクスチャー─テアトル・ド・コンプリシテをめぐって=河合祥一郎 |
四季の年・亜門の戦略─ミュージカル時評=小藤田千栄子 |
最新アートが重層するオーガニック・シアター─『HIROSHIMA』は生成・変容を繰り返す「生き物」だ=桂真菜 |
舞台技術としての声を聞く─前進座『連如』ほか=神沢和明 |
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[95年・夏・演劇祭] |
アヴィニョン断想─アヴィニョン演劇フェスティヴァル95=佐藤信 |
異形の祭り─パフォーマンスフェスティヴァル95 ─会津アート・カレッジ=榎本了壱 |
オリンピック・ナショナリスト─シアター・オリンピクス[ギリシア]=三枝和子 |
自分たちの時代を舞台に─第41回全国高等学校演劇大会=西沢周市 |
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[ワークショップの可能性2]野田秀樹 |
遊ぶこと、演じること─身体の共通言語を確立するために=長谷部浩 |
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[演劇書評] |
『シェイクスピアにおける交渉』(スティーヴン・J・グリーンブラット=著)=田尻芳樹 |
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[追悼]古橋悌二 |
テイジとの対話=バーバラ・ロンドン |
危機に立つ芸術家の死=鴻英良 |
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[戯曲] |
HIROSHIMA─太田川七つの流れ |
ロベール・ルパージュ 監訳・構成=松岡和子 |
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