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歴史が急速に流れはじめた。進んだのか、退いたのか、その評価は人によって違うだろうが、世界がグローバル化の波に覆われ、〈帝国〉の支配が世界の細部にまで行き渡った感があることは、誰しも否定できないだろう。イデオロギーの時代は去り、市民社会の成熟に見合ってジャンルの生き残りが画策され、それがついに資本の論理が貫徹する時代が到来した。しかしそこで現象してきたのは、ほとんど度し難きまでに「希薄」な時代だったのである。
最近わたしは、60年代から2000年までを総括する論考で、この30有余年を4つの時期に区分した。「68─73年=運動の勃興期」「74─85年=小劇場の熟成期」「86─94年=エンゲキの迷走期」の3期は、今でもたぶん有効だと思う。……しかし、では1995年以後は何とすればいいのか。その問いが改めて突き返されてきたのである。 |
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【目次】より |
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現代社会と演劇 |
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1 演劇はすでに壊れている |
演劇はすでに壊れている |
演劇/芸術は可能か? |
関節のはずれた時代に |
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2 演劇史再考─90年代演劇の視角 |
演劇史再考 |
「問題」としての90年代演劇 |
演劇史、戯曲史の見直し、読み直し |
日本の演劇を歴史的に捉え直す |
象徴天皇制から情報天皇制へ |
果たして日本演劇は世界に通用したのか |
アングラと伝統演劇 |
100年後のチェーホフ |
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3 現代演劇ノート |
演劇で暴力批判は可能か |
個としてではなく集団として生きるために |
アンケートに見る現代演劇の動向 |
読売演劇大賞の10年 |
ヒーローからコロスへ |
恋愛劇の不可能 |
翻訳劇の現在 |
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4 批評の批評 |
劇のアクチュアリティに向けて─批評の批評1 |
生活と芸術を結ぶもの─批評の批評2 |
ナイーヴとシニシズム─批評の批評3 |
日本の実験演劇─批評の批評4 |
大状況とサブカル演劇─批評の批評5 |
いま、演劇に何が起こっているか─批評の批評6 |
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5 関西演劇小論 |
仮説としての「関西演劇」─維新派の位置 |
「関西演劇」は劇的震源地になりうるか? |
関西演劇に注目 |
大阪演劇祭はどこへ向うか |
関西演劇はこれからどこへ行くのか |
野外劇の醍醐味 |
実験の新しい場──〈仮設劇場〉WA |
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あとがき |
初出一覧 |
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西堂 行人 (にしどう・こうじん) |
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演劇評論家。近畿大学文芸学部(舞台芸術専攻)教員。
1954年東京生まれ。早稲田大学文学部(演劇専修)卒業。同大学院(芸術学)中退。
70年末より主として日本のアングラ・小劇場運動に随伴しながら演劇批評活動を開始。
80年後半より海外の演劇祭等を訪れ、90年よりドイツの劇作家ハイナー・ミュラーを素材としたプロジェクト(HMP)を組織し、2002年8〜9月には「かなざわ国際演劇祭─ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド」を企画する。
2003年10〜12月には東京で中国、韓国を含む18劇団参加による「ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド2003」フェスティバルの実行委員長を務める。 |
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著書
『演劇思想の冒険』(論創社、1987)、『見ることの冒険』(れんが書房新社、1991)、『小劇場は死滅したか?現代演劇の星座』(れんが書房新社、1996)、『ハイナー・ミュラーと世界演劇』(論創社、1999)、『ドラマティストの肖像?現代演劇の前衛たち』(れんが書房新社、2002)、『韓国演劇への旅』(晩成書房、2005)
編著
『演出家の仕事−60年代・アングラ・演劇革命』(れんが書房新社、2006)、『劇的クロニクル』(論創社、2006)、『現代演劇の条件−劇現場の思考』(晩成書房、2006)などがある。 |
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