● |
急速に進む日韓の演劇交流。その15年の道程。韓国現代演劇の姿、演劇創造を担う韓国のドラマティストたちを活写!
1990年以降、著者は手探りで韓国演劇人と交流を続け、注目し続けてきた。15年を経て、日韓演劇の交流は急速に広がり、関係も加速度的に深まっている。著者の韓国演劇への旅の道程をふりかえり、韓国現代演劇の姿を描き出すとともに、急速に深まった日韓演劇交流の歩みを伝え、その未来を展望する。また、韓国演劇を担う15人の演劇人をとりあげ、その人と作品、活動を描く。 |
|
韓国演劇は、わたしが演劇という思想を鍛えていく上で、大きな源泉となった。韓国人の行動様式や気質、倫理感などは日本と違っているように見えて、「北東アジア」という大枠では、日韓は明らかに同質の文化圏に属している。日韓の異質性と同質性を双方睨みながら両国の関係を考えることは、自分たちの在り処を探ることであり、ひいては両者の未来への展望を開くことにもつながるだろう。(本書より) |
|
90年より始めた韓国演劇への旅は、原稿を初出順に並べてみると、小さなか細い通路が次第に膨らんできて、やがて太いパイプにつながってきた道程がよく見える。そうなるまでに十五年の時間を要した。(あとがきより) |
|
|
|
【目次】から |
|
1 日韓演劇交流 |
2 韓国演劇への視角 |
劇場街・大学路の魅力 1992 |
日韓演劇交流(上)─金亜羅とその舞台 1992 |
日韓演劇交流(下)─伝統/身体/交流 1993 |
韓国のハムレットマシーン 1993 |
韓国演劇は、いま──李潤澤と金亜羅── 1994 |
恐るべき韓国演劇とハイナー・ミュラー 1994 |
韓国という「他者」 1996 |
韓国演劇の変化 1997 |
アジアが〈アジア〉と出会うために 1997 |
フィジカルシアター・フェスティバルに参加して 2000 |
韓国演劇は日本を映し出す鏡か 2001 |
密陽フェスティバルの魅力 2003 |
【補論】アジア演劇を考える──PAV92 YOKOHAMAに寄せて 1992 |
近くて大きな他者──「反」日本演劇 1993 |
|
3 韓国のドラマティスト |
1 蔡昇勲 チェ・スンフン |
2 呉泰錫 オ・テソク |
3 韓泰淑 ハン・テソク |
4 孫ジン策 ソン・ジンチェク |
5 金敏基 キム・ミンギ |
6 朴根亨 パク・グニョン |
7 李潤澤 イ・ユンテク |
8 チョウ廣華 チョウ・ガンファ |
9 金光林 キム・カンリム |
10 金明和 キム・ミョンファ |
11 金洸甫 キム・カンボ |
12 梁正雄 ヤン・ジョンウン |
13 沈哲鐘 シム・チョルチョン |
14 奇國叙 キ・グクソ |
15 金亜羅 キム・アラ |
|
|
西堂 行人 (にしどう・こうじん) |
|
演劇評論家。近畿大学文芸学部(舞台芸術専攻)教員。
1954年東京生まれ。早稲田大学文学部(演劇専修)卒業。同大学院(芸術学)中退。
70年末より主として日本のアングラ・小劇場運動に随伴しながら演劇批評活動を開始。
80年後半より海外の演劇祭等を訪れ、90年よりドイツの劇作家ハイナー・ミュラーを素材としたプロジェクト(HMP)を組織し、2002年8〜9月には「かなざわ国際演劇祭─ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド」を企画する。
2003年10〜12月には東京で中国、韓国を含む18劇団参加による「ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド2003」フェスティバルの実行委員長を務める。 |
|
|
|